自動車業界が百年に一度の大変革期「CASE(Connected, Autonomous, Shared & Services, Electric)」を迎える中、日産自動車が再び経営の重大な岐路に立たされています。これは過去四半世紀の間に訪れた二度目の深刻な危機です。一度目は1999年、バブル経済崩壊後の巨額の負債に苦しみ、破綻が現実視される中でフランスのルノーから招かれたカルロス・ゴーン氏が「日産リバイバルプラン」により驚異的なV字回復を成し遂げました。しかし、そのゴーン体制が終焉を迎えた後の現在、日産は業績の長期低迷、電動化競争への出遅れ、そして経営ガバナンスの崩壊という前回とは質の異なる複合的な難題に直面しています。本記事では、両危機を多角的に比較分析し、過去の成功モデルが通用しない現代において、日産が再び輝きを取り戻すために必要な道筋を探ります。
1. 25年前の経営危機(1999年)の詳細な分析
- 危機に至った背景と根本原因
1990年代の日産は、バブル経済時代の拡大路線のツケが重くのしかかっていました。日本国内では5車メーカー全てに新車を供給するほどの過剰な生産能力を抱え、採算性を無視した「追い込み販売」で無理な在庫を抱え込み続けました。調達コストはトヨタに比べて20-30%高いと言われるなど、系列サプライヤーとの硬直的な関係(ケイレツ)が非効率を生んでいました。ブランド力はあったものの、商品力の低下は著しく、世界での販売台数は減少の一途。ついには有利子負債が2.1兆円に膨らみ、会社存続の危機と言われる状況にまで追い込まれました。原因は「過去の成功モデルへの固執と、それによって引き起こされた財政的・体質的な硬直化」に集約されます。
- 劇的なV字回復を可能にした「日産リバイバルプラン(NRP)」の核心
1999年、資本提携したルノーから送り込まれたカルロス・ゴーンCOO(後にCEO)は、国籍や社内のしがらみを持たない「アウトサイダー」として、日本の企業風土では考えられないほどのスピードと切れ味で改革を断行しました。- 大胆なリストラ策: 国内の生産能力を30%削減し、5つの工場を閉鎖。関連会社を含むグループ従業員の21%にあたる2万1千人を削減するという、当時としては衝撃的な内容でした。
- 調達コストの劇的削減: サプライヤー数を半減させ、3年間で調達コストを20%削減するという明確な数値目標を掲げ、系列の壁を越えたグローバル調達を推進しました。
- 資産の売却とキャッシュフロー重視: 株持ち合い解消を含む非コア資産の売却を進め、財務体質の強化に努めました。
- クロスファンクショナルチーム(CFT)の導入: 部門の壁を超えた約200のチームを結成し、現場の知恵を結集して改革案を策定。従来の縦割り組織の弊害を打破しました。
- 回復への道のりと結果
NRPは当初の計画を上回るペースで成果を上げ、わずか2年で有利子負債を完済。2001年度には営業利益率が7.9%を記録し、過去最高益を更新するという驚異的なV字回復を達成しました。その後も「日産180」などの後続計画で成長を続け、ゴーン氏は日本では稀なカリスマ経営者としての地位を確立しました。
2. 現在の経営危機(2018年~現在)の複合的な本質
- 危機の引き金と多層的な原因
現在の危機の直接的引き金は、2018年11月のカルロス・ゴーン会長の逮捕とその後の解任です。しかし、これは表面化した現象に過ぎず、その根底にはより深い構造的問題が横たわっています。- ガバナンス危機と「ゴーン依存症」: 長期にわたる強力なカリスマ経営者への依存が、社内の健全な意思決定プロセスと後継者育成を著しく怠らせました。ゴーン氏の逮捕後、経営陣は空白状態に陥り、その後もトップの交代が相次ぐなど、経営の不安定性が長期化しています。
- 戦略的迷走、特に電動化(E)の出遅れ: 世界で初めて量産EV「リーフ」を発売するなど、技術的な先行優位性を持ちながら、その強みを戦略的に大きく拡大できませんでした。テスラや中国メーカー、さらにはトヨタやホンダといった国内ライバルも続々と新型EVを投入する中、日産は重要な製品更新時期で空白期間が生じ、明らかな出遅れをとってしまいました。
- 収益力の低下と商品力の課題: 利益率の高い北米市場では、値引き販売に依存した体質から脱却できず、また主力セダン市場の世界的な縮小も重なって収益が悪化。新型車の投入ペースも鈍り、世界的なSUV人気を十分に取り込めなかった面もあります。
- アライアンスの再定義という難題: ルノー・日産・三菱連合の力関係は、ゴーン体制終焉後もくずれ、ぎくしゃくした関係が続いています。資本関係の見直しや、各社の自立性と協調のバランスをどう取るかという難問が、迅速な意思決定の足かせとなっています。
- 二つの危機の決定的な差異
- 課題の性質: 1999年が「過去の負の遺産(負債、非効率)の清算」という内側に向けた課題だったのに対し、2020年代の危機は「激変する外部環境(EV、ソフトウェア定義の車)への適応と未来への投資」という外側への対応が問われる課題です。
- 解決策の複雑さ: 前者が「工場閉鎖」「人員削減」「コスト削減」といった比較的単純明快な「引き算の経営」で対応できたのに対し、後者は「EV・バッテリー・ソフトウェアへの巨額投資」「人材の再教育」「新たなビジネスモデルの構築」という「足し算の経営」と、同時進行で行わなければならない「経費削減(引き算)」の二重課題を抱えています。はるかに複雑で、時間と莫大な資金を要する難題です。
3. まとめ
日産が直面する二つの経営危機は、その性質と必要な解決策が根本的に異なります。過去のV字回復を可能にした「ゴーン式リストラ」の成功体験は、現在の複合危機に対する処方箋としてはむしろ有害となる可能性さえあります。なぜなら、25年前の危機の本質が「財政・体質」という守りの効率化であったのに対し、現在の危機の本質は「電動化・競争戦略・ガバナンス」という攻めの未来創造と、失われた信頼を回復する組織の再生という、相反する要素を同時に達成しなければならないという点にあるからです。単純なコスト削減だけでは、未来への投資原資を削る結果にしかなりません。例えば、1999年は「工場閉鎖」「サプライヤー整理」「人員削減」という明確な引き算により、キャッシュフローを改善し、体力を回復させました。しかし現在は、引き算(過剰なコストの削減、収益性の低い市場からの撤退)で得たリソースを、如何に足し算(5千億円規模のEV投資、固体電池やアライアンス協業の新モデル開発、ソフトウェア人材の確保)に振り向け、中長期的な成長軌道に乗せるかが問われています。このバランスを誤れば、短期的な業績は回復しても、未来の市場での競争力を完全に失いかねません。したがって、日産の真の再起のカギは、過去の成功体験へのノスタルジーを捨て、変化した世界と業界の現実を直視することにあります。ルノー・三菱とのアライアンスを「ゴーン個人」ではなく「制度的・戦略的な協力」へと進化させ、電動化における明確な勝ちパターンと、持続可能な収益モデルを迅速に提示できるかどうかが、最大の試練となるでしょう。
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